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「仮想」と聞くと、かなり前のことですが、日本IBMでシステムズエンジニアをしていた方が「virtualを仮想と誤訳した責任は我々にあります」と反省の弁を述べたことを思い出します。米IBMがvirtual memoryを発表した時、日本IBMが仮想記憶と翻訳しました。virtualの意味は「事実上の」「実質的」ですから、virtual memoryとは「本来のメモリーではないが事実上メモリーとして使える技術」を指します。ところが、仮想記憶と訳したため、実体がない想像上のメモリーという印象を与えてしまい、しかもコンピュータの世界でvirtualが出て来ると必ず仮想と訳されるようになりました。同氏は「もっといい訳にしておけば」と悔やむ所以です。とはいえ今考えてみても、しっくり来る言葉はなかなか見つかりません。言葉の難しさを感じます。

「言葉のインフレ」は経済のそれよりはるかに恐ろしい:日経ビジネスオンライン

英辞郎を引いてみたら確かに “実体・事実ではないが「本質」を示すもの” とあるな。してみると「ヴァーチャルな社会」なんて言い方も、英語圏の人と日本人では受ける感覚が全然違うのかもしれん。

(via raurublock) (via urume) (via yaruo) (via gkojax) 2010-04-02 (via gkojay) (via k32ru)

(via lemp3)

(via head) (via moraz) (via sivamuramai)

「仮装」と訳すべきだったな。こちらなら、その本質とは異なる外見や役割を装うという意味になる。
衣服などの仮装しかり、商船を武装する仮装巡洋艦しかり。

(via yukiminagawa) 実際現実 (via petapeta)
ディズニーランドが9割バイトって事を自慢する本かベストセラーになる国は悲しい。こんな国で若者が子供作って育てられるわけがない
Twitter / @kyounoowari (via igi)
822 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/20(火) 15:11:01.36 ID:7Gi7nswx [2/2]
長年ニートの俺が一念発起して就職活動始めたんだけど、
メガネじゃ印象悪いんでコンタクトレンズ買いに行ったんだよ
色んな種類があって悩んでると店員が「無職ですか?」とか「使い捨てですか?」とか
いきなり罵詈雑言を浴びせてきやがったから怒って帰って来たよ
それ以来、この件がトラウマになって就職活動も止めたんだ

僕は、本を買った後の使い方まで指示されるなら、その作家の本はあまり買いたくありません。
他にも楽しい物はいっぱいありますし、中古で買うな、売るな、漫画喫茶で読むな、自炊するな、と言われたら、本は新刊で買って、読まなくなったら捨てるしかないです。
わざわざ自炊をしてまで、自分の著作を読もうとしている人達を、なぜ閉め出そうとするのでしょうか。

作家は自分たちの権利のことばかりを考えて、読者(お客さん)のことを考えていないように思います。
そんな不経済で資源をムダにする物を、誰も必要としなくなってしまうのではないかと思うのです。

本が売れない時代にあって、作家や出版社が自分の権利ばかりを主張し出したら、誰が本を買うのでしょうか。
「じゃあ、いらないよ」と言われるだけではないでしょうか。

僕たち漫画家は客商売をしています。
サービス業です。
読者にお金をいただいて生活をしています。
漫画家様、作家先生ではないのです。

僕の著作は自由に自炊も代行もしてもらって構いません。

このままでは誰も漫画を読まなくなってしまいます。
出版社や作家がスキャン代行に反対するのは、実害があるからではなく、自分たちの利権が奪われるのが怖いからだと思います。

スキャンされない唯一の方法は、本を販売しないことです。

漫画の場合、いずれ単独で描いている作家が
こぞってインディーズの電子出版に移行する
可能性は大いにあると思う。そうなったら
出版社は、アメコミやハリウッド映画のような
「プロジェクト製作方式」で
漫画を製作し始めるのではないだろうか。
編集部がプロデュースして、シナリオ、演出等は
外注し、作画チームを立ち上げ、締め切りまでに
ガーッと仕上げて、連載が終わったら
チームはすべて解散、みたいな方式だ。

今まで出版社は、個人の漫画家にリスクを全て
丸投げして、当たれば出版社は大儲け、
外れたら漫画家を切り捨てるだけ、という
出版社にだけ都合の良いやりかたをしてきたが、
プロジェクト方式だと、制作費は全て出版社持ちだから
リスクもそれ相応に負う事になる。
これまでのような「漫画家をいいように利用して
いらなくなったら捨てる」というやり方が通用しなくなる。
また、従来型の個人の作家に原稿料を払うやり方に
比べて当座の制作費もかさむ可能性が大きい。

とはいえ、この方法は出版社にとって悪い事ばかりではない。
このやり方だと、単行本化の際に作家に払う印税は
必要なくなるので、制作費等の面でのリスクはあるものの、
大当たりすれば儲けは全て出版社のものになる。
また「プロデューサー以外全員外注で、
終わったら解散方式」のほうが
有望作家を社員にして丸抱えするよりも
かえってリスクは少なくてすむという利点もある。

出版社が生き残っていく為にはこういったチームでの
プロジェクト製作や、専門分野での企画出版という
方向に行かざるを得なくなるかもしれない。が、
逆にそれがうまくいけば、充分存在価値を見いだして
生き残っていける可能性は大いにあると考える。

実はキリスト教には重大な欠陥があります。
それは宗教のあがめたる存在であるキリスト自体が神様ではなく「神の子」であるということだったんですね。
神様を直接あがめるのではなく、神様と人を繋いでくれている代行者たるキリストをあがめよと。
それによって神は人の言葉を聞いてくれる、そしてキリストは唯一無二の代行者であると。
(要するに人間寄りの神様の子に媚びることで、神様に「他の生命より人間を優遇してくれ」とお願いすると)

ところが日本では、神様は常に皆の上、皆の隣にいて、いつも皆を見ていてくれる、声も聞いてくれている。
唯一ではなく、いろんなものに神様は宿っていて、それぞれが持つ力で人を助けてくれる。
そして神の声を聞ける代行者は神主さんに巫女さんに虚無僧にといっぱいいるし修行すればだいたい誰でもなれる。

だからキリスト教が日本に来たときによくよく話を聞くと
「要するにキリストさまってのは神主様だっぺ?なんで一人だけしかいないんだ?それに神主様をあがめて
 どうするっぺよ。神主様はそりゃ~大事にするもんだけんど、祀るのは神様じゃないとダメだっぺよ」
となったそうです。


ちなみにオカルトな話ですが、外国の高僧が言うには「僧になれるのは民族の中でも一握りの選ばれた人間で、
まずその資格を持つ子供を探すのも我ら僧の使命。資格の無いものはいくら修行しても神を感じることもできない。
なのに、日本人は誰を見ても僧になれる資格を持っている。むしろなれない者を探す方が難しい。これはおかしい。
なぜ日本人と言う民族に生まれただけで資格が与えられるというのか。」ということだそうです。
(資格ってのは霊格とか神格とかいうものです。)
そして、資格があるということは普段から神を感じることができている、そこから矛盾する説明があると無意識に
見破ってしまう。
つまり神様関連については嘘(宣教師の誤魔化し)が効きにくいというところもあるそうです。

pedalfar:

500px / Photo “flying cat” by Markus Künstner
「新聞というメディアは、言い切ることが仕事なんです。『・・・かもしれない』とか書いたら、僕は首になります」と、朝日の記者から言われた。真に受けないほうが良い